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2009年1月

吉田喜重『小津安二郎の反映画』から その2

『晩春』 映画のまやかしと戯れる (本文より)

 それにしても小津さんは、危機の時代、変革期の時代にふさ

わしい人ではなかった。極限の状況にあっては、人々が求める

ものは偉大な物語、過剰に語りかけてくる映画を歓迎し、時代

の不安より逃れようとする。それが戦中戦後の映画のありよう

であった。

 しかし語ることよりも、いかに口を閉ざして語らないかに心を

砕く小津さんは、しょせん反時代的な立場にこだわるしかなか

った。この世界が無秩序であり、筋道だった物語があり得ない

のであれば、それを自負して語ることは映画のまやかしに過ぎ

ない。そう考えることが、戦中戦後の偉大な映画に迎合するな

く、小津さん自身を無傷のまま救ったのである。

 日本に平和がよみがえり、ようやく人々が日々の落ちつきを

取りもどしたとき、・・・小津さんは可能な限り語ることを自らに

禁ずる、まさしく小津さんらしい映画をつくりはじめる。

 それは小津さんらしい作品世界の復活、あるいはさらなる成

熟を告げるかのように、何気なく描かれている情景にしても、

それを眺める視点の匿名性をゆたかに回復し、ひとつの意味

に収斂することなく曖昧に浮遊する。・・・・

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吉田喜重『小津安二郎の反映画』から その1

吉田喜重『小津安二郎の反映画』から

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昭和23年『風の中の牝鶏』・・・悲しき関係 映像と言葉 (本文より)

東京下町の焼け残った家の二階に、間借りしながら暮らす妻と

子供のもとに、夫は無事に帰ってくるのだが、その前に急病に

かかってしまった子供の入院費を得ようと身を売った妻は、耐

え切れず夫に告白し許しを求める。夫はそれを聞いて逆上し、

妻を執拗に残酷なまでに責めつづける、といった劇的に仕組ま

れた筋立ては、小津さん自身が描き続けてきたはずの家族ドラ

マとは、明らかに相反するものであっただろう。家族が家族であ

ることを互いに意識しないことが、最も自然な家族のありようで

あるならば、夫が夫らしく嫉妬し、妻が妻らしく涙を流すといった

場面は、家族が家族であることを強く意識することによってよう

やく可能となる、きわめて作為的なものであり、小津さん自身そ

れをまやかしとして否定してきたはずであった。

 そして俳優の演技にしても、夫と妻を演じる俳優がそれぞれ

に与えられた役割を見事に演じれば演じるほど、夫婦としてより

も個々の人間としてふるまっているように見え、かえって俳優同

士が他人でしかないことを露呈してしまうのである。

 最も多くの映画監督たちは、たとえ夫婦であっても個々の人間

に還元し、とらえて描くことがリアリズムであり、人間ドラマと信じ

て疑わなかったのだろうが、小津さんに限ってはこうした抽象化

された赤裸々な人間はありえず、時間の移ろいと同様に、我々

自身もまた反復とわずかなずれによって、かろうじて自らを表現

するだけだと考える人であっただろう。

 だが『風の中の牝鶏』では、小津さん自身がこだわり続けてき

た固有の規則に明らかに違反して、むしろ映画の映画らしい常

識に従おうとしたのである。

 ・・・小津作品における情景のありようとは、それが風景であっ

ても事物であっても、可能な限りそれを見ている人の視点、誰に

よって眺められているのかという痕跡を曖昧にし、ついには不確

定なままに消失するように注意深く配慮することにあった。

 しかし『風の中の牝鶏』に見られる、階段を虚しく鑵が転がり落

ちてゆく場面に限っては、情景の匿名性といった規則に違反して、

それが誰によって見つめられているのかがはっきり読み取れる、

記名された映像であり、意味がまぎれもなく伝達される情景ショッ

トであった。

 それは明らかに夫と妻のもつれ合った心の破局を物語っており、

乾ききった音をひびかせながら落下する鑵は、夫婦にこうした悲

劇をもたらした日本の現実、過酷な戦後といったものを象徴してい

ることを、観客の誰しもが理解したに違いない。階段の情景は確か

に小津さん自身の視点から見つめられたものであり、戦後の現実

を不当とするメッセージがこめられた映像であるとともに、おそらく

小津さんが自ら作品の中で、ただ一度だけ思わず口にしてしまった

映像による言葉であっただろう。

・・・・・

ひと時の激情が去り、夫と妻は和解する。夫は妻の肩を抱き、「忘

れちゃうんだ・・・もっと深い愛情を持つんだ・・・」と自分に言い聞か

せるように語るのだが、それは決して口に出してはならぬことを口

に出してしまった後の虚しさに似ていた。

 このように小津さんは映像が語ることの歓びよりも、語ってしまっ

たことの悲しみをよく知っている人であった。あるがままのむちずじ

ょな世界を受け入れる小津さんは、付加可逆的に絶えず動く映像

がわれわれの見ることの自由さを奪い去り,映像が語る言葉、その

意味することが世界を乱し、歪めることをもっとも恐れたのである。

それは映画を深く愛しながら、それを限りなく疑うことでもあった。

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明日の『小津安二郎監督の晩春』は混みますよ!!!

2/1 午後1時30分ピョン太文庫シアター室にて「昭和の名作

映画・無料鑑賞会」小津安二郎監督、原節子、笠智衆、杉村

春子、月丘夢路などの出演『晩春』は、かなりの反響で、当映

画会としては久々の盛況が見込まれます。お茶やお菓子の用

意もありますので、お早目にお越しください。4月までの上映

プログラムも差し上げます。 お問い合わせは事務局電話

221-3951サラダ館水戸本町店あらいまで

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フィリップ・フォレスト著『さりながら』のつづき

フィリップ・フォレスト著『さりながら』のつづき

芭蕉、蕪村、一茶と続くころは俳諧といわれ、伝統的

な短歌の上の句17文字の部分が発句と呼ばれるよ

うになり、俳諧には「喜劇的」「おもしろい」「滑稽」とい

ったニュアンスがある。著者の推測では、俳諧と発句

が縮まってできた俳句は何か「気ばらし的な詩句」と

いった意味を持つと。

芭蕉の同時代人である偉大な戯作者西鶴の物語は、

もっと知られてしかるべき・・・・20歳で何とも奔放な

詩風で余人を凌駕したこの天才詩人によって、俳諧

は頂点にもたらされると同時に限界を超えて、無とな

る。30歳の時に彼の才能は頂点に達した。・・・彼の

経歴は前代未聞の連続であった。句を矢継ぎ早に多

量に作る矢数俳諧で活躍した彼は、・・・・10日間を要

して百韻百巻を吟ずる万句興行を行い、・・・一日に

千六百句を詠み、一昼夜を徹して四千句を作り、二万

翁と称した。42歳のときには住吉神社で、1昼夜に二

万三千五百句を詠む多数吟の最高記録を打ち立てた。

・・・・この才気、力、奇想、規則や慣習への無頓着さな

ど、その野蛮さゆえに、オランダ西鶴と呼ばれた。それ

から西鶴は姿を隠した。妻が死に、一人娘も死んだ。

・・・・時が過ぎ文学の世界に帰ってきたとき、彼は当時

のもっとも偉大な散文作家となり、快楽と女性と放縦な

愛を題材とした作品を書いた。(つづく)

さりながら Book さりながら

著者:フィリップ・フォレスト
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恐るべき「さりながら」フィリップ・フォレスト著

フィリップ・フォレスト著「さりながら」澤田直訳白水社刊

著者は1962年パリ生まれ、パリ政治学院からソル

ボンヌへ転じ、現代文学の研究で文学博士、現在ナ

ント大学で比較文学の教授。

作家となったきっかけが幼い愛娘ポーリーヌの死。

その後「永遠の子ども」をかき、フェミナ賞処女作賞

に。訳者のあとがきによれば、高度に洗練された文

学理論をフィールドにしてきた彼に、一見あまりにも

べたな実体験小説書かせたものは日本の「私小説」

や独自の仕方で自分の家族について語る大江健三

郎の作品だった。

この作品の初めに書かれている小林一茶も、子ども

たちを次々と亡くし、ようやく晩年になって得た娘は

彼の死後生まれるという「出会いそこね」があり、死

と静かに対峙する一茶に対し筆者は限りない共感を

よせる。

プロローグは、一茶のもっとも有名な句「露の世は

 露の世ながら さりながら」からはじまる。

1763年に信濃・柏原に生まれた一茶は2歳で母を

亡くし7歳の時にやってきた継母や近親者からいじ

めぬかれ、田沼意次親子が幕政を主導したころ、

14歳で江戸へ奉公に。同じころ、フランスではルイ

15世が君臨し、神童モーツァルトは8歳で、ルソー

は「社会契約論」を書き上げていた。

一茶のその後10年間の消息はなく、24歳で最初

の句を詠んだ。

   我ときて 遊べや 親のない雀 (最初期の句)

本文より・・・一茶の幼少期は信じがたいほど悲しく

も美しい物語である。この小さな言い伝えにはあら

ゆる要素が揃っている。この迷子を気遣い、手をさし

のべるいくたりかの人物がいる。乳と薬を与え、死を

免れさせてくれた祖母、読み書きを教えてくれる詩人

・・・読み書き、それもまた生き延びるための手だてだ

ろう・・・5歳の時、一茶はすでに世界についてすべて

を知っていた。その悪意、その無尽蔵の美しさ。その

後の人生を生きながら、彼は学んだことが真実かどう

かを確かめることになる。   (つづく)

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金子郁容著「日本で一番いい学校-地域連携のイノベーション」

金子郁容著「日本でいちばんいい学校-地域連携の

イノベーション」

コミュニティ・スクールの先進校について、四国の小さ

な学校から、市単位でコミュニティ・スクールが行われ

ている京都市や三鷹市の学校までが紹介されていま

す。

ピョン太文庫から見える距離にある市立浜田小も

実験校で2年目になりました。蟹は甲羅にあった穴を

掘る、「浜田小に合ったコミ・スク(略記)とは?」ピョン太

文庫は、殿様蛙になりたいと願っていますが、浜田小

にいる蟹は磯の岩場の小さな磯蟹でしょうか。

本書によれば、市立小学校の人事権は、何故か県の

担当だそうです。

コミュニティ・スクールの第1の柱・学校運営協議会に

よる学校運営が難しいとおもえば、第2の柱・ボラン

ティアによる学校支援(図書室や体育・家庭科など授業

のお手伝い)から始めよう、と本書にも。・・・明日へ続く

日本で「一番いい」学校―地域連携のイノベーション Book 日本で「一番いい」学校―地域連携のイノベーション

著者:金子 郁容
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1/25ピョン太文庫「昭和の名作映画・無料鑑賞会」

1/25ピョン太文庫「昭和の名作映画・無料鑑賞会」

または「ピョン太文庫にぎわい名画座」

先週お天気が悪かったので、溝口健二監督の昭和

29年作品「山椒大夫」田中絹代、香川京子、花柳喜

章出演を午後1時30分よりピョン太文庫シアター室で

上映します。

2月1日は小津安二郎監督の「晩春」、2月15日はチ

ャップリンの「モダン・タイムス」をやります。

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