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沖縄の「あれ」の抑止力ついて

引き続きブログ「内田 樹の研究室」6/1(午後になると

なぜか繋がりにくくなります)

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2010/6/1 No.1982
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今日のNews
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●それにつけても、米国はなぜ辺野古にこだわるのか。
今年の春、佐藤栄作元首相の机の引き出しの中から発見された「沖縄核密約」に
はこのようなやりとりがあった。
「沖縄に現存する核貯蔵施設の所在地である嘉手納、那覇、辺野古及びナイキ
ハーキュリーズ基地を、いつでも使用可能な状態で維持し、重大な緊急事態の
際には実際に使用できるよう求める」
辺野古には核貯蔵施設があり、有事には核兵器をまた運びこむ密約もある。
貯蔵施設が今でもあるなら、沖縄の「抑止力」の正体はこれではないか。
それなら米国が辺野古に固執する理由も見える。
毎日新聞 6月1日
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佐々木の視点・考え方
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★アメリカの占領地だった沖縄は1971年に日本に返還された。

返還の決着そのものは1969年11月のニクソン・佐藤日米首脳会談で
決まった。上記密約が交わされたのはこの日だ。

会談後の記者会見でニクソンはこう発言した。
「もう1つ良い知らせがあります。沖縄のメースBは今後3週間以内に撤去
することが決まりました。」

中距離核ミサイルのメースBは中国に向けられて沖縄に配備されていた。
当時の中国は、ソ連とも仲が悪く、珍宝島で武力衝突するなど、ソ連軍は
広い中国との国境線に軍隊を進攻させていた。

内陸部からはソ連、沖縄からはアメリカの核ミサイルがのど元に(沖縄と
北京の位置関係を良く見てください)突きつけられて挟み撃ちしていたため
中国は絶体絶命のピンチだったのだ。

ここにアメリカが刀を収めたのだから、中国はアメリカにすり寄った。
1971年に日米が電撃的に国交回復したが、すべてはこのメースBの撤去
から始まっている。

さらに言うなら、これまで米ソで中国を挟み撃ちする形が、以降は米中で
ソ連を挟み撃ちにしたため、ソ連が疲弊して20年後には滅んでしまった。

東西冷戦のスタートは、実は沖縄の核ミサイル撤去にあった。

その核基地だが辺野古近辺には発電所があって、ミサイル基地としての
条件を今も満たしている。

非核原則がまやかしだと暴かれた今、辺野古が日本に返還されて、上記声明
後も、もし辺野古に核が残っていることが明らかになれば、アメリカが中国
にウソをつき続けたことになる。

※またしても内閣の退陣、生活に追われたわれわれの認識不足、

対岸の火事的他人事として現状をみていないだろうか。上が変わ

っても下は変わらないが、下が少し変われば上は変わらざるを得

ないのではないか。(あらい)

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