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10/20号掲載・朝日新聞水戸東部販売(佐藤新聞店)地域情報紙

「昭和30年代のお祭り①」

 昔の人は信心深かったので私も祖母に連れられて祥月

命日墓参はもちろん、お不動尊(寶船寺・浜田町)や竃

神社(本町1丁目・旧七軒町)、二十三夜尊(末広町・旧馬

苦労町)雷神さん(常磐町)の縁日と、よく連れられて

でかけたものだった。戦後の混乱期も終わり講和条約が

結ばれる頃だったのだろうか。

戦前も戦後も下市の人にとってのお祭りといえば吉田

神社のお祭り(秋季例大祭)だろう。現在は毎年10月の

第2土日に神幸祭・還幸祭が行われるようになり、お

囃子も自前の同好会的な山車・屋台がほとんどになり、

衣装も股引・どんぶり・袢天という職人さん風がほと

んどになった。私たちが浜田小学校に通っていた頃は

「お祭り」は10月の15,16日と決まっていたので、め

ったに土日に巡り合わせることはなかった。その頃は

とにかく授業時間中に笛の音がピーヒャラと聞こえ

くると、教室の固い木椅子にじっと座っていられない

ような、浮き立つような空気が自然に教室の中に湧い

てきたように憶えている。

 昭和3132年ごろには、夏休みに浜田小学校の校庭

で「農機具祭」というものが大々的に行われ、校庭は

各メーカーのテントが張られ近隣一帯からずいぶん人

を集めた。なにしろ浜田小の南側と東側は一面の水田

であり、戦前から水戸東部の農村を顧客としていた本

町商店街がその祭りに協賛して芸者の山車(屋台)が何

台か出された。夏の夜は屋台上の芸者さんの手踊りを

見物する人たちで商店街の通りが埋まったものだが、

その農機具祭は雷雨などで校庭がひどく荒れてしまい、

時流も農業から工業へとシフトされつつあった時だっ

たので、小学校の校庭を使った「農機具祭」は長続き

しなかった。しかし子供たちにとって2カ月後の10

にまた山車が出るということは驚くべきことで、当時

の下市商店街も含めた世間が戦後の物不足の時代から

朝鮮戦争の特需を経て豊かに復興してきた事の証しだ

ったのだろう。

写真①

Photo

戦前の鐘馗様の山車(藤柄町)は袢天姿が多いが、紋付

を着た商家風の人も写っている。花笠をみんなが背負

っているのが見えますか。下記から別ファイルを開け

ばこの写真は現在の横須賀看板店のあたりで撮られた

ものではないか。藁ぶき屋根の向こうに神社の木立が

見える。

「fujigara.bmp」をダウンロード

写真②

001

「hongo.bmp」をダウンロード

は写真下に昭和34年のものとあるが37年頃に訂正しま

す。50年前の本五町目の屋台(昭和32年の屋台は馬車の

荷車に組み上げた屋台だったが、この時にはトラック

に載せている。

大正時代の本四町目の屋台はすでにトラックの上に載

せられていた)で、芸者衆を乗せて引き手は全員紋付

袴に花笠姿、進行責任者の拍子木をもった親方は鳶職

の人(右下には水浜電車の軌道がかすかに写っています

)。記:あらい

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