« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月

昭和35年6月の水戸市立浜田小学校6年生の遠足

25320syashin

↑1960年6月15日の国会周辺・ウィキペディアより

転載

「昭和35年 東京遠足・下市の駄菓子屋と子どもたち」

 19606月、浜田小6年の私たちの小学生最後の遠足は

東京。国会議事堂、羽田空港(その当時は羽田飛行場?)

上野動物園見学がそのルートであったろう。

当時1日の小遣いが、親からもらえたとして110円だっ

た私は、それまでの遠足には納めた遠足費の中から支給

される本五町目(現本町3-3-1)いしざき商店の白い紙袋

に入った貧弱なお菓子の詰合せが楽しみだったが、6

生の東京行きともなり「お菓子は自分で30円以内で用

意する」ことになった、と思う。それが50円だったか

確とはしないが、子ども心にその頃の10円は今の100円、

30円は500円、50円は千円ぐらいの感じではなかったか。

無孔の国会議事堂模様の5円玉を握って近所の駄菓子

(本五町目:本町3丁目の周囲には、裏五町目に鹿島

さん、裏六町目にみのやさん、白銀町に大木さん、

中川さん、竹隈町に川崎さん、浜田小前には雑貨屋さ

ん風だった高野さん、青物町にはお菓子やのみかげ屋

さんなどなど)へ行けば、カルメ焼や心太(ところてん

)、甘納豆の子袋のくじ引きなどが5円、細いガラス管

に赤青黄とドギツク色分けされ、口にくわえてツーっ

と吸い込めばサッカリンで変に甘かったゼリー状の寒

天が2本で1円。町内のいしざき商店では、10円でも女

将さんやお姉さん、売り手によって目方が変わる量り

売りの英字ビスケット、一つずつ数を確かめながら大

事に食べたもの。

東京遠足で今でも記憶に残るものは、国会議事堂の一

角にバスがさしかかった時に小学生の眼に映った道路

一面のビラの海。その一角だけに残されていた前夜の

生々しい30万もの人たちの怒声と悲鳴を思い起こすに

十分な、無音の静けさが観光バスの行く手に拡がって

いた。私たちの遠足は昭和3561519日の安保闘争

のヤマ場の直後に出かけたらしい。ウィキペディア(

リー百科辞書)で「60年安保」を検索すると、当時自民

党のアイゼンハワー米国大統領の来日歓迎準備委員会

の委員長は茨城県選出の橋本登美三郎衆議院議員で、

岸内閣の防衛大臣はこれも茨城県選出・水高卒の赤城

宗徳衆議院議員であった。続いて、連日国会周辺を埋

めるかのような反安保のデモに、橋本は岸総理の命を

受け児玉誉士夫にデモ潰しを依頼、当時の「ファー・

イースタン・エコノミック・レビュー」には「博徒、

暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得

し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対

勢力』を組織した。最終計画によると18000人の博

徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会

員の動員が必要であった。岸は創価学会にも協力を依

頼したが、これは断られたという。彼らは政府提供の

ヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令

部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ド

ル)の『活動資金』が支給されていた」と書かれてい

る。・・・条約は参議院の議決がないまま、619

自然成立。またアゼンハワーの来日は延期(実質上の

中止)となった。岸内閣は混乱を収拾するため、責任

をとる形で、新安保条約の批准書交換の日である

623に総辞職を表明した。岸は、715日の総辞職

の前日、暴漢に襲撃され重傷を負った。615日の惨事

議会政治の危機(言い換えれば、社会主義革命

産主義革命への導火線)とみた広告代理店電通

田秀雄朝日新聞社笠信太郎らが主導となり、在京

新聞社7社は、617に共通で「議会政治を守れ」と

したスローガンを掲げた社告を掲載。国会デモ隊の暴

力、社会党の国会ボイコット、民社党との過度の対立

を批判した(七社共同宣言)。この七社共同宣言は、

「流血事件は、その事の依ってきたる所以を別として

、議会主義を危機に陥れる痛恨事であった。(中略)

いかなる政治的難局に立とうと、暴力を用いて事を運

ばんとすることは断じて許されるべきではない」とあ

り、岸政権が批判を受けた「所以」を不問に付した。

従って、安保闘争に冷や水を浴びせ、政府にとって有

利な内容であった。そのため、警察側の暴力を不問に

した、議論の本質を「暴力反対」にすり替えた、とい

った批判が当時なされ、「新聞が死んだ日」とも評さ

れた・・・「60年安保闘争」は空前の盛り上がりを見

せたが、戦前の東條内閣閣僚でありA級戦犯容疑者

にもなった岸とその政治手法に対する反感により支え

られた倒閣運動という性格が強くなり、安保改定その

ものへの反対運動という性格は薄くなっていたため、

岸内閣が退陣し池田勇人内閣が成立(719)する

と、運動は急激に退潮した。-ウィキペディア(フリ

ー百科辞書)より抜粋

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「にぎわい名画座」4/7からの上映メニュー決定

絵本交流館・ピョン太文庫

「にぎわい名画座」

4/7からのメニュー

★訂正5月7日は5月5日㊐の誤りです。↓

Eigatirasi2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »